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東日本大震災での犠牲者は2万人(死者 行方不明者を合せ)を越えると発表されていますが、その中で福島 宮城 岩手 3県 1045 カ所の保育園では 地震津波の発生が 昼寝時間帯だったにも関わらず犠牲者は 何と驚くなかれ ゼロ だったそうです。 ① 逃げる出るのに時間が掛かるから少しでも早く行動を起こす ② 絶対守ってやる との強い想い ③ 自らの責任感で幼児の命を守る 。 この三つの信念を基本に, 海岸から数百mの場所に位置した 閖上保育園(宮城県)では, 地震の揺れが続いている時からジャンパーを着せ始め, 佐竹園長は ①逃げます ②車を持ってきて下さい ③小学校で会いましょう。 と伝え, 保育士さん達の マイカーに分乗し1台に隙間なく 乗れるだけ乗せ, 地震発生の10分後には保育園を離れ、2km先の閖上小学校に避難し54名の園児は全員無事。 車で通過した道路は、通常の大通りは渋滞するかもと判断、園長自ら中の道を選択し早く到着出来たとの事。 指定されている避難場所(園より100m離れたビル)では駄目だ , 3階まで幼児を連れての階段を駆け上がるのも無理だとの判断をしていたそうだ。 実際には、その指定場所のビルは3階まで津波が押し寄せ壊滅しており, もしそこに避難していたら全滅していたであろう。 閖上保育園は津波に押し流されて跡形も無くなっています。54名の園児が全員無事だったのは、奇跡ではなく園としての指導方針&先生方全員による訓練, 対策検討などの積み重ね等 日々の努力あったからだ
もう一件、岩手県の野田村保育所では、日々の周到な準備で園児を守ったとの事。 自分達で歩いてみて指定ルートでの避難では駄目だ、間に合わないと判断し、普段より農家の畑を避難通路として使用させてもらえるように話が付けてあった。 もしルート通りに坂道を歩いていたなら津波はその道の上まで押し寄せ、間に合ず全滅だったとの事。 この野田村保育園では、地震が起きたら津波が来なくてもいいから、 又 、笑われても良いから避難をしようと決めていたとの事でした この2件の話は今朝の情報テレビ番組で放送されており、 余りにも素晴らしい感動的な内容だったのでメモを取り乍ら 観ていたもので私のブログにも掲載し少しでも多くの人々に紹介をしたいと考えたのです。
by 1taiko
| 2011-05-25 11:48
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